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マニア女性からの手紙 18回

2014年05月20日 00:25

【陰唇を糸で縫い合わせて膣を塞いでいる女でございます】
[手紙]中沢一子(仮名)

マニア倶楽部が隔月刊になって間もない頃『マニア女性からの手紙』と言うコーナーがありました。
写真はないのですが強いマニア性をもつ女性からのメールや手紙を紹介するコーナーです。
先日パソコンのデータ整理をしていたら、その連載データを発見したので読み返してみました。
それがとても面白い。なんだかもったいないので、ブログにアップしていきます。



こんにちは。私は四十二歳の女です。
マニア倶楽部は通巻二十号めあたりから愛読しつづけています。
といっても、御主人様がいて読まされてきたとか、命令されて買わされているというような、
投稿できる経験は一度もありません。
それどころか、今まで一度も結婚したことさえありません。
性格も顔も暗いのを自覚しています。それでも、性には人一倍好奇心があります。
好奇心があるというより、実際に経験がないぶん妄想と願望がとても強いのだと思います。

私は恥ずかしい話ですが処女です。
人と接することが苦手で特に男性とは話をすることもほとんどできません。
男女のそれなのに、何かが膣に挿入されたことがあるかないかと言えば、
私はどんなセックス好きの女性やセックス産業に従事している人たちより、
その回数が少ないことはないと思います。
私は親を知りません。母方の祖母に育てられました。
祖母は東京の下町の工場でお針子をしていました。服の縫製をする仕事です。

今はもうそのような仕事は東南アジアのほうに移ってしまったので目にすることはありませんが、
私が小さい頃にはまだ東京にもそういう町工場がありました。

私の母親は私を身ごもったとき、今で言ういわゆる風俗店に勤めていました。
祖母はあまり詳しく話したがらなかったのですが、
そこは相当いかがわしい店で、売春宿というようなところだったのだと思います。
客の出す金額によってコンドームを付けない、いわゆる生でもしていたようでした。
つまり、私は売春婦の娘です。
父親は分かりません。母親自身、誰の子だか分かっていなかったようです。
私を産み落としてから祖母の家を出て、それ以来音信不通になったそうです。
年齢的には今も生きているかもしれませんが、私にとっては初めから存在しないものでした。

ただ、自分は「売春婦の子」という蛆虫のような生き物だというだけです。
今にして思えば法律的にはどういうようになっていたのか分かりませんが、
私は祖母に育てられました。その祖母が亡くなって一周忌を過ぎました。

私が小さい頃、祖母は口癖のようにいなくなった娘(私の母親)を罵り、
私には「あんたは母親みたいなふしだらな子になったら絶対に許さないからね」と言っていました。
そして、私の股間を指さして、
「ここが緩い女になんかなったら、この針と糸で縫って閉じちまうからね」
と怖い顔で迫ったのです。

私が中学に入ったときには、
「いいかい、男なんか覚えるんじゃないよ。もしそんなことをしたら、ほんとにこれだよ」
と言って針を示されました。
でも、もうそのときに私はオナニーも覚えていたのです。
たぶん、ものごころつかないようなときから、そういうようなことを散々言われてきたので、
かえって私は自分の性器に関心を持ってしまいました。

そして小学校二年生のときにはもう、クリトリスを撫でると不思議な感覚になってしまうことも分かってしまいました。
祖母からそこらへんをいじってはいけないと禁止されていることに後ろめたさを感じながらも、
手が股間にすべり、指がクリトリスを擦ってしまいました。
でも、私の背徳行為はそれだけでは済まなくなりました。
どうしても、膣の中に指を入れてみたくてしかたありませんでした。
祖母からそこは汚いものと散々すり込まれていたのに、だからこそかえって膣の中が知りたくなってしまったのです。

小学校五年生になってすぐの一学期に、クリトリスの上あたりに陰毛が生えはじめてきたのがきっかけでした。
毛が生えたことで、もう純粋ではなくなってしまったような気がしてきたからです。
それなら膣の中に指を入れても同じことと思いました。
祖母の言いつけを破りながら。私は一度も見たことがない母を思い浮かべました。
(私にはやっぱりおかあさんの血が流れてるんだ)
陰唇を開いて恐るおそる人差し指を中に入れようとしました。
どこが入口かよく分からなかったので、さぐるような感じで指を押していきました。
そうするうちに、何となく指の第二関節まで埋まってしまいました。
中は痛い感じはせず、指も膣もただ窮屈な感じがしただけでした。

私は指をそっと抜き、その先を鼻にあてがいました。
芳しくもなく臭くもなく、不思議なニオイがしました。そして、それを舐めてしまいました。
禁断の実をかじったような気持ちがしました。
でも、続けて私は中指も添えて、二本を膣の中に押し込みました。
今度は少しだけ痛い感じがしました。
それでも、私は小五にしては発育がよかったせいか、
膣自体が大人びていたのかもしれず、指二本が第二関節まで埋没してしまいました。
しばらく二本の指が膣に入ったままの状態でじっとしていました。
でも、そのときの私の頭の中はいろいろな感情が渦巻いていました。
心臓の鼓動が激しくなっていました。
その速さに合わせるように、人差し指と中指を膣に入れたままの私は親指でクリトリスを撫でました。

もし世の中に天国というものがあるとすれば、このときの感覚こそ私にとっては天にも昇るような気持ちよさでした。
世の中には何でこんなに気持ちのいいことがあるんだろうと思いました。
そして、しばらく私は初めての指入れオナニーに浸っていたのです。
ですが、
(……お母さんはこんなことばっかりしていて、だめになったんだ、きっと)
と思いなおすこともありました。
我にかえるとは、こういうことを言うのだと思います。
そして、それから一ヶ月はクリトリスだけのオナニーも絶ちました。
でも、私の全身に流れている乱れきった母の血は拭えませんでした。
がまんすることができなかったのです。

私はまた指入れオナニーをしてしまいました。
禁断の期間が長かったせいか、大胆さが増してしまいました。
二本が前回のときと同じように入るのをたしかめると、
少しでもホンモノに近い形のものを入れたくてしかたない衝動が抑えられなくなりました。

そのとき私はすでに男女の営みを知識として持っていました。
そして、アパートにお風呂がなかったので小さい頃から銭湯に通っていて、
祖母に縫製の大量発注があったときは階下の親しいおじいさんに男湯のほうに連れていってもらっていました。
普通の体格の男性や、建築現場で働く逞しい肉体の男たちや、
背中や二の腕にきれいな彫り物をしている人たちもいました。そういう人たちの男性器をたくさん見ていたのです。

普段だから小さいというのは間違いで、勃起していない状態でもとても逞しい男性も少なくありませんでした。
幼い私にはあの黒光りしたような男性器がとても淫靡な物体に思えていました。
(あんなにすごいのがほんとにここに入るの?) 
と考えただけで私はとてもイヤらしい気持ちになりました。
そして、当時は自動販売機で売っていたコンドームを実は手に入れていたのです。

コンドームが欲しくてほしくてたまらなかったのですが、一ダースやハンダース売りばかりで高くて買えませんでした。でも一個売りというのを発見したのです。三百円でした。
それでも私には高かったのですが、夜、近くに誰もいないときを見計らって買ったのです。
そのなけなしのコンドームに砂を入れて使いました。
でも、このときは入りませんでした。それでも、この試みはずっと続けました。
そして、一ヶ月後にその大きな実物大のものが私の膣にしっかりと入ったのです。
 
女の喜びのような気持ちが胸に迫りました。そして、ピストンのように動かしました。
ところが、使い古したコンドームは弱くなっていたのです。切れて砂が膣の中にいっぱい残ってしまいました。
懸命に指で掻き取ろうとしました。でも、完全には取れませんでした。
祖母にも言えず、一人悩みました。
祖母の言いつけを守らず、性器に執着してしまった自分を、そして母親を呪いました。

でも、翌日にはまた指入れオナニーをしてしまいました。そして、いっぱい濡らしてしまいました。
すると、昨日の砂が液とともに出てきたのです。
その翌日もまたその翌日もオナニーするたびに出てきて、一週間くらいしたときにはもう出てこなくなりました。
 
その頃の私は自分自身の女性器もとてもグロテスクな生き物のように感じていました。
だからといって嫌いだったわけではなく、むしろ自分の性器が愛おしくさえ思えていました。
そして、どんなに祖母に蔑まれようとも、この中に男性器を入れてもらえる日がいつか来るんだと思うと、
それだけで毎日、生きる気力がわいてきたのです。

とはいっても、私がずっと抱き続けてきた背徳感はなくなりませんでした。
本当の男性とのお付き合いはとても無理でした。
でも、その分、オナニーはもっとイヤらしく、変態的にエスカレートしていってしまったのです。
そして、衝撃的だったのが、その頃もう愛読していたマニア倶楽部で読んだ的場梨香さんの投稿手記でした。
里香さんは結婚相手以外のSMの主従関係の御主人様がいて、
その方に左右の陰唇を赤い糸で縫い合わされて膣を塞がれるプレイをしていると、写真付きで掲載されていたのです。

お祖母ちゃんが言っていたことを本当にしてる人がいる、というのはショックでした。
逆の意味のショックです。とても羨ましいと思いました。
私はもういてもいられない気持ちで針と糸を取りだしました。
陰唇をつまんで針先をあてがいました。
そして、初めて膣に指を入れたときのように針を押し込んでいきました。
意外に強烈な痛みはありませんでした。
というのも、私も痛みには強い体質だったからです。

心理的なものもあるかもしれませんが、むしろ、痛みがないと感じないような体でした。
左と右の陰唇に糸を通していき、綴じ合わせました。
鏡に映すととてもイヤらしい姿でした。
すごく興奮しました。
隙間がないほどぴったりと綴じ合わせたにもかかわらず、すぐに愛液がにじみ出てきました。
 
このときから毎日、私は自分の陰唇を縫い綴じ、そのままの状態でできるかぎり過ごすようになりました。
ときには、中にローターを入れたまま綴じ合わせてみたり、綴じ合わせたまま仕事に出たりしました。
排尿も綴じ合わせたままでした。
ゆっくりと出すようにすれば、出来ることもわかりました。
そのときは、タオルなどをあてて吸収させるようにしていましたが、
今では紙おむつに素晴らしい素材ができたのでそれを使っています。

現在は針を使うことがエスカレートして、乳首も糸を通して錘をぶらさげたり、
乳首どうしを引き合わせる形にしてみたりしています。
それから、クリトリスにも針を貫通させていますが、
最初はここだけは気が遠くなってどうかなってしまいそうなほどの痛みがありました。
でも、場所によっては比較的耐えられるところがあるので、それでがまんしています。

つい先日ですが、上下の唇を縫い合わせて夜に外出しました。
とても興奮しましたが、けっこう人通りがあったので走ってしまいました。
躓いて怪我でもしたら大変なので、これは一人でするには無理だと感じました。
私のような容姿も家柄も悪い女でも、このようにして生きているということを少しでも知っていただきたくて、
ついにマニア倶楽部さまに手紙を書いてしまいました。
投函するかどうかはまだ分かりませんが、もし出したときはせめて編集の方に読んでいただけたらと思っております。
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